寄稿文

吉留秀俊先生より

「感謝の言葉」  吉留秀俊

昨年11月21日東京審査会において、剣道八段に合格させていただきまして、これまで御指導・御支援いただきました先生方をはじめ剣友の皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。

日を追うごとにその段位の重さと責任を痛感する日々でございまして、皆様方に剣道についてお話しする実力・技量も備わっておりませんので、静岡で育てていただき早25年となりますので、私のこれまでの経歴等について紹介させていただきます。

私と剣道との出会いは、出身地であります鹿児島県鹿屋市というところで、あまり知られてはおりませんが、旧日本海軍航空基地(太平洋戦争〈第二次世界大戦〉のとき特攻作戦の基地現海上自衛隊鹿屋航空基地)があり人口約10万人の市で、昔から「お祭り」にかけていろいろな大会があるほど剣道が盛んな地域であります。

私の亡き祖父が、剣友と共に少年健全育成のため創設した「田崎剣道スポーツ少年団」において、二人の兄も剣道を習っていた影響もありまして、自然と小学校1年生のころから剣道をはじめました。剣道をはじめて半年は、礼法と、外での足捌きと素振りだけで、よく先生に「お前の足捌きをした足跡が曲がっている、集中が足らん、学校の行き帰りも剣道の足捌きで通学しろ」と厳しく指導され、何足もの靴を消費して親にも迷惑を掛けたことを思い出します。その甲斐もありまして休日のお祭りの度に行われる大会にも出られるようになりました。

小学校、中学校と少年団をはじめ地元の先生方の熱心な御指導により、剣道を通じて道徳や礼儀作法等も教わり、各大会においても入賞する成績を収めることができましたので、高校進学も剣道を続ける決意をもって、鹿児島実業高等学校に進学することにしました。

当時は、鹿児島県下でも「商工・実業・商業」と三大強豪校と言われ、稽古も厳しく年間で実家に帰るのも年末年始の5日だけで、平日は朝稽古にはじまり休日も他校への遠征等と剣道に明け暮れていました。当時の監督でありました故大口昭三先生には、剣道に取り組む姿勢、構え、基本を徹底して教わり、特に竹を斧で真二つに切るが如く相手の中心を割って打つ剣道を教わりました。

大学は、自分の志望でもありました中京大学に進学しまして、林邦夫先生,堀山健治先生より剣道の理合や理論の教えを受け、私生活においても大変お世話になりまして感謝の念に絶えません。在学中の授業や稽古では、故近藤利雄先生、故伊保清次先生、故柳生春延先生、秋田森治先生と錚々たる先生方による御指導や、剣道部の先輩、同級生、後輩との毎日の稽古、春、夏の合宿・遠征・各大会への出場等は、私にとって大きな財産であります。

大学卒業後、当時、静岡県警察師範でありました滝川貞司先生のお誘いを受け、本県警察官を拝命し、剣道特別訓練選手の指名を受け、全国・関東警察大会で勝利することを目標に稽古に励み、選手時代から現在に至るまで本県警察剣道名誉師範の滝川貞司先生、石川暉先生をはじめ、松下勝夫先生、田中久夫先生、剣道特練の先輩方、静岡県剣道連盟の先生方より御指導いただき、その教えを常に実践し工夫し自分のものになるまで繰り返し行いました。

私は剣道を通して沢山の先生方に育てていただき、生かされて今の私が在ると思い本当に感謝し ております。また、陰ながら応援し支えてくれました一番の理解者である家族、両親、兄弟にも心から感謝しております。

今後もこの感謝の気持ちを忘れず、これまで取組んできましたことを日々精進し、微力ではございますが日本の伝統と文化で培われてきた剣道のさらなる発展・普及に励んでまいりたいと思います。

まだまだ未熟でありますので、皆様方の相変わらぬ御指導、御鞭撻を賜りますようお願い申し上げ、感謝の言葉とさせていただきます。

「感謝の言葉」吉留秀俊

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